人生の旅の途中で、
ふと誰もが自分に問いかける。
私は誰?
どこから来て、どこへ行く?
何のために...
私を取り巻く世界に、どんな意味がある?
家族や友人、愛する人、
あるいは...私を苦しめる人や出来事に
なぜ出会う?
この人生はだれのもの?
バイオ(生の)グラフィー(軌跡)は、一般的に「伝記」と訳されますが
わたしたち一人ひとり、誰もが自分の生きた軌跡~バイオグラフィーを持っています。
何歳くらいから私たちの記憶は始まっているでしょう。
どの時代に生まれ、どの場所で育ち、 どんな家族に囲まれて、どんな教育を受けたのか。
どんな選択肢が与えられていたのか。何を手放し、何を選んだか。
あるいは何を諦め、何に流されたのか。 そして、その時、私は何を感じ、何を考えていたでしょう。
幼児期から、小、中学校、高校と成長するにつれ、
親や家族よりも、教師や友人との時間に心魅かれていきます。
美しいものに憧れ、夢を語りあい、現実と理想の狭間で苦悩する日もあるでしょう。
いつしか、小さかった身体は、大人のサイズになりました。
外側から見える私と、内なる私は、果たして調和がとれているでしょうか?
傷つきやすく、もろく、かつ残酷で、無防備で、
自信満々かと思えば、次の瞬間には絶望の淵に沈んでしまう。
そんな思春期の経験は誰にもあります。
時が経ち、社会の仕組みの中で、やがて少しずつ、責任を負い始めます。
時にはがんじがらめになり、それでも戦い続けることや
思うようにいかず、怒りに我を忘れることもあるでしょう。
高い評価や絶賛を浴びることもあれば、 愛する人、信じていた人に裏切られたり、
逆に自分が傷つけたり、裏切ることさえあるのです。
そして、ふとジグソーパズルのピースが ぴったり合うような出来事が起こります。
突然、記憶の窓が開き、時の迷路を一瞬にして飛び越えると
何年も、何十年も経った後になって、 あの時の出会いの意味や、あの困難の存在が、
灯となって、 今へと導いてくれていたことの不思議に気づきます。
バイオグラフィーワークは、アントロポゾフィー(人智学)の世界観、人間観を土台に
誰もが等しく持っている、自分だけのバイオグラフィーを使って
成長のアーキタイプや人生の七年周期、惑星のリズムに基き、対話や、ゲーテの自然観察法、
オイリュトミー、 描画や粘土などの創造的な芸術体験とともに、
自分の人生に様々な角度から光を当てていくワークです。
バイオグラフィーワークの真髄は、 個々の学びのプロセスが、グループの力によって支えられ、
同時にグループの力になっていくことです。
コミュニティビルダーとして個々に蓄えられた力は、 そのグループ内にとどまらず
やがて他のグループに属した時にも発揮されていきます。
人は常に誰かを支え、支えられています。
世界が平和であるためには、 まず、自らの内と外が平和でありますように。
急激でドラマチックな変化をもたらすものではありませんが
ゆっくりと柔らかく確実に視座を広げていくのが、バイオグラフィーワークです。