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東山植物園のハニーサックル
蕾から開花、結実、そして・・・
先日、娘とスカイプで長話をしたやり取りを
友人たちに話したところ、一瞬、沈黙。
「親子じゃないみたい」と言われて、
びっくりしてしまいました。
「え~どこが?」という私に
「だって、親子なら、もっと、モロな感情が出るもんでしょ。」とのこと。
なるほど! そういえば、見かけによらずクールだよね、とも言われる。
で、つらつら考えてみると、
これは、やはり子育ての途中から遠距離になったせいかも。
第1子の長女がイギリスに行ったのは1993年の秋、
13歳になったばかりのことでした。
思春期前期、不安定さの真っただ中。
今のようにラインもスカイプもなく、それどころか、
まだ携帯もインターネットもありません。
国際電話のコレクトコールにヒヤヒヤしながら、
ちょっとした愚痴や苛立ちに、じっと耳を傾ける。
口を出したくなる時もあるけれど、
ガマンガマン、ただ寄り添うだけ。
母親の不用意な言葉は、他人以上に傷つけることもあります。
近くにいれば、修正可能かもしれない。
でも、離れているから、自然に、
迂闊な言葉が出なくなりました。
不安から、怒りから、親は子どもに、本当の気持ちではなく
感情的な言葉を投げつけてしまうこともありますが
それが本来の家族らしい会話だとしたら、私たち親子は?
どの家族にも対話には特有のスタイルがあります。
好き勝手に思ったことを言い放てる親子、
ある意味、その正直さ、無遠慮さが、ちょっと羨ましい。
距離と時間がつくった親子の対話のかたち。
とにかく、私の「聴く力」は子どもたちによって
育てられた、ってことらしい。