BFRP東海主催の木曜会では、バッチフラワーの「七つのカテゴリー」に再挑戦したわけですが、そこで改めてバッチ博士の人生を概観したことは、前のブログにも書きました。
ある意味、ゴシップネタも交えながら、人間バッチに迫るというのは、別段、目新しいことではなかったのですが・・・。
シュタイナーの七年周期の呼吸のリズムで作ったメタモルフォーゼのチャートからは、彼が50歳で亡くなったことの意味さえ、解き明かされていくのが、非常に興味深いところでした。
1935年、フラワーレメディのヒーリングシステムを完成させたバッチ博士は、そのレメディ発見の途上、それまで12ヒーラーと4ヘルパー(7ヘルパー)と分けてきた考え方を、完全に手放します。そしてシンプルに38種類全体を「7つのカテゴリー」に分類しました。
私がプラクティショナーになり、実際にレメディを選ぶ際に、バッチ博士が最終的に提示した「七つのカテゴリー」はとても役立つ、というのが実感です。感情には様々なグラデーションとバリエーションがありますから、確かに分類すること、そのものが難しいのは仕方のないことです。
例えばゲンチアナのレメディが示す悲観的な傾向は、感情としては落胆とか失望という言葉で表現されますが、なぜその人がすぐに、起こった出来事や自分自身を疑ってしまうのか、というところに注目すると、このレメディが「失意と絶望」に分類されず、「内心の不確かさ」に分類されていることに、なるほど!と、納得します。こうしたレメディの区分けは、バッチ自身が医療従事者として、また一人の人間として、様々に困難を抱える人々を観察することから、導き出していったと思われます。
30代に入ってすぐ、一度、死線をさまよったエドワード・バッチは、自らの研究に没頭することで、健康を取り戻していきます。そして、近代医学からホメオパシー、バッチフラワーの発見へと歩を進めるたびに、それまでの名誉や地位、経済的な評価を惜しげもなく手放していきます。
健康に生きるということはどういうことなのか。病にはどんな意味があるのか。1人ひとりの人生の課題と目的とは?人はどう生きるのか?という、誰もが一度は抱く根源的な問いに対し、バッチは自らの生き方を通して、未病、予防医学の分野を拓き、未来の医療の方向性を指し示したと思われます。
19歳のエドワード・バッチ(ウェールズで)
若々しい白いシャツが目に染みる!
バッチはその血筋にウェールズの流れを汲み、
ウェールズの土地、自然から
様々な直観を受けていたようです。
バッチ博士が愛したクローマーの浜辺で。
左端がバッチ、一人おいてノラ・ウィークス
画像は「オリジナルライティング」から
バッチ博士が、レメディを発見した、
ウェールズ・クリックハウエル、
ノラ・ウィークスが描いたスケッチも載っています。