私が初めてブラームスという名前を知ったのは、多分、母が歌う子守歌からだったと思う。当時にしては珍しく西洋音楽好きだった母は、毎夜、子守歌を歌ってくれたが、それが日本の子守歌ではなく、シューベルト、ブラームス、モーツァルトなどなどだった。私はモーツァルトの子守歌の、♪~月は窓から~銀のひかりを~そそぐこの夜~♪、というところが特に好きで、しつこくリクエストをしたものだ。
1954年、フランス実存主義の影響を色濃く持つフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちは」が、弱冠18歳の若さで世界的なベストセラーとなった。その5年後に書かれたのが、「ブラームスはお好き?」だった。中学生になっていた私は、なぜ、モーツァルトではなく、ブラームスなのだろう、と思いながら、むさぼるように読んだ。
それから何年経っただろう。1977年の春、サンフランシスコのオペラハウスで、アシュケナージ指揮のブラームスを聴く機会があった。ワクワクしていたのも束の間、演奏が始まると間もなく気分が悪くなり、もう聴くどころではなかった。ブラームスを聴く時は事前の食事をしてはいけない。気をつけようと思った。それにしても、もったいないことをしたものだ。
木曜日、豊田あげつまクリニックのホール、ノバリウムで、県芸の教授陣による「ブラームス室内楽の夕べ」のコンサートがあった。デュメイのCDを聴いて好きになった、ヴァイオリンソナタ第1番と、あまり知らないピアノ四重奏曲第2番だ。渋い...なんてカッコいいプログラムだろう。そうそうたる演奏者たちの奏でる響き、円熟、重厚、軽妙洒脱~教授、准教授ともなれば、後進の指導が大きな仕事であろう彼らが、表現者だけで生きていただろう若かった頃とは、おそらく違う世界を見せてくれている、なんて贅沢な至福の時間だろう。。。
参りました。
ブラームスはお好き?
もし、特別にお好きじゃなくても、
ぜひどうぞ。
2017/5/23(火)18:45
ザ・コンサートホール 名古屋伏見
フランソワーズ・サガン(1935-2004)
富裕な家庭の第3子(末子)としてフランスに生まれる。18歳のデビュー作で世界的名声とともに巨額の富を得る。莫大な収入を得たものの浪費も激しく、 酒、たばこの他、自動車事故で重症を負った時の痛み止めのモルヒネから麻薬中毒となり逮捕されたこともある。
ユーミンの「セシルの休日」に出てくるセシルは、サガンの「悲しみよこんにちは」に出てくる主人公の女の子、ということを知ったのは、ずいぶん後の話しです。