北原白秋の詩、「落葉松」をはじめて知ったのは多分小学4、5年生の頃、5歳年上の姉が口ずさんでいたのを聞いたときだったと思います。思春期と呼ぶにはまだ幼い心にも、この詩が持つ寂寥感が迫って、漠然と、大人になるということは決してバラ色だけではないんだなと思ったものです。落葉松ってどんな木なんだろう。普通、松は常緑だけど落葉するのかな…。その後、40年も経ってから、晩秋の上高地で、この詩のイメージそのままの風景に出会いました。そしてその数年後、バッチフラワーのレメディの中に、西洋落葉松(ラーチ)があることを知ります。ある夏、イギリス湖水地方の河畔を歩いていた時、ふと指が明るい緑色をしたやさしい感触の枝に触れました。これは!?と思い、木の名前を尋ねるとラーチという答えが返ってきました。その時、初めてバッチフラワーの「ラーチ」と北原白秋の「落葉松」が結びつきました。
バッチフラワーのラーチは、「失意と絶望」に分類されているレメディで、自分が人より劣っていると感じ、自分の能力に自信が持てない時や、失敗を恐れるあまり、チャレンジを諦めてしまうような場合に使います。常緑がほとんどの針葉樹の中にあって、ラーチは冬(困難)が来る前に、さっさと諦めて葉を落としてしまう、というクオリティは、まさにラーチ、自信の欠如を表しているようで興味深いです。
白秋が「落葉松」の構想を得たのは、大正10年軽井沢、初夏の星野温泉に滞在中、朝夕の散策時に、からまつの芽吹きに感銘を受けたと聞きます。けれど詩を読んで浮かんでくる風景は、芽吹き時というよりは、むしろ晩秋、諦念のイメージです。もちろん人によって感じ方は違うでしょうけれど。ただ、侘び寂びというか、色味の少ない渋めな七節目までと比べて、最後の八節に、静かな芽吹きを感じるのは私だけかしら。
世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
芽吹きというものは、うれしいけど泣きたいみたいな切なさがあります。ラーチの芽吹きは、そんな中でも特別です。特に雌花の仄赤さに、こころ揺すぶられない人はいないでしょう。傷つきやすい繊細なラーチは、失敗することで自信を失い、それによって挑戦や冒険から遠ざかろうとしますが、白秋はこの作品を書いたとき、ちょうど第2ムーンノード(37歳前後)を迎えていました。ムーンノードには、多くの人が人生の目的や意味を問い、方向転換などを余儀なくされます。当時、すでに白秋は一定の評価を得ていたと思われますが、「落葉松」は白秋のその後の詩作に向け、重要な位置を占める作品となったようです。「山川に山がはの音/からまつにからまつのかぜ」 吾唯知足~向上心とか、よりよくなろうとか、評価されたいとか、何かを成したいという意識は、決して悪いことではありませんが、自分のその時の限界を受容できる人こそが、限界を広げていく、超えていける可能性を持っていると思わずにおれません。ちなみに白秋は57歳(第3ムーンノード前後)でこの世を去っています。バイオグラフィーワーカーの視点で見ると、これもまた興味深いです。
落葉松の幽かなる、その風のこまかにさびしく物あはれなる、ただ心より心へと伝ふべし。また知らむ。その風はそのささやきは、また我が心の心のささやきなるを、読者よ、これらは声に出して歌ふべききはのものにあらず、ただ韻(ひびき)を韻とし、匂を匂とせよ。
北原白秋「落葉松」前文
『水墨集』アルス発行(大正12年)
落葉松
北原白秋
一
からまつの林を過ぎて
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。
二
からまつの林を出でて、
からまつの林に入りぬ。
からまつの林に入りて、
また細く道はつづけり。
三
からまつの林の奥も
わが通る道はありけり。
霧雨のかかる道なり。
山風のかよふ道なり。
四
からまつの林の道は
われのみか、ひともかよひぬ。
ほそぼそと通ふ道なり。
さびさびといそぐ道なり。
五
からまつの林を過ぎて、
ゆゑえしらず歩みひそめつ。
からまつはさびしかりけり、
からまつとささやきにけり。
六
からまつの林を出でて、
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
浅間嶺にけぶり立つ見つ。
からまつのまたそのうへに。
七
からまつの林の雨は
さびしけどいよよしづけし。
かんこ鳥鳴けるのみなる。
からまつの濡るるのみなる。
八
世の中よ、あはれなりけり。
常なけどうれしかりけり。
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
『日本現代詩体系 第四巻』河出書房(昭和25年)
イギリス湖水地方で、初めてラーチに出会った河畔