小学生の頃、年の離れた姉から、何をだったかよく覚えていないのですけれど、好きなのを選べと言われて、どう答えたらいいのか困ったことを覚えています。それは、どう答えたとしても、馬鹿にされたり、否定されたりすることが分かっていたからです。姉から見れば、軽いいたずら、単なるからかいだったかもしれませんが、子どもの世界はかなり残酷です。私は家の中で委縮していた分、その反動で学校では自己主張の強い、アンバランスな子どもだったと我が身を振り返ります。後になってみれば、これも私が持つ課題のひとつだったのですけれど。
第5章は、そのように周辺からの影響を受けて判断が曇る人にとって、本当に大切なこと、守らねばならないことを、やや強い調子で語りかけます。
なんじ自身を癒せ エドワード・バッチ著(バッチホリスティック研究会刊)
第5章
「真の個性の欠如(つまり、人格への干渉を許し、その干渉によって「ハイヤーセルフ」の命令に従うのが妨げられる状態)は、病気を作り出すのにとても重要な役割を果たしますが、しばしば幼児期から始まります。ですから今度は、親と子、学校教師と生徒との間の正しい関係を見てみましょう。」
興味深い書き出しで始まる第5章は、おそらくバッチ博士自身の実感を伴っているのではないか、とさえ思わせる具体的な内容を持っています。私自身もそうでしたが、幼児期から幼い人格は周りからの干渉を受ける、というわけです。バッチ自身も自分の幼少期を振り返ったら、そうだったのかもしれません。
親は子どもを物理的に地上に誕生させる仲立ちであり、ある時期までその若い人格の養育を担う役割を持ち、その魂が、自分で自分の若い人格の面倒をみられるようになるまで、優しい愛と保護と導きを与えること、というのはそうありたいと思いますが、決して見返りを求めず、ただただ与え、邪魔をしてはならない、と言われて、確かにそうだとわかっても、ついつい親のエゴが顔を出し果たしてどこまでできるかは疑問です。
私は第5章を読むと、いつも思い浮かぶ詩があります。
カリール・ジブランの『預言者』の中の一節、「こどもについて」
あなたの子は、あなたの子ではありません。
彼らは生命が、自らを待ち焦がれて生み出した息子、娘たちなのです。
あなたを通って生まれてきたけれど
あなたが生み出したのではありません。
あなたと共にいますが、あなたのものではありません。
子どもに愛を与えることがあっても、あなたの考えをおしつけてはなりません。
子どもには子どもの考えがあるからです。
あなたは子どもの肉体を宿すかもしれませんが
子どもの魂を宿すわけではありません。
子どもの魂が宿っているのは明日の家、
あなたが夢の中でも訪れることのできない場所だからです。
あなたが子どものようになろうと努力することもあるでしょうが
子どもをあなたの思うようにしてはなりません。
なぜなら、生命は遡ることも、留まることもないからです。
あなたは弓であり、あなたの子どもは、そこから放たれる命ある矢。
射手は無窮の道の彼方にある的を見ながら
あなたを力強く引きしぼるのです。
その矢が速く遠く飛んでいくために。
あの射手に引きしぼられることを喜びとしなさい。
なぜなら射手は、飛んでいく矢を愛しているだけではなく
留まっている弓をも愛しているのですから。
親の立場に立つと、いつも試される気がします。子どもの成長の過程で、様々に夢を描くからです。子どもが矢だとしたら、ともすると親は自分が射手になってしまい、自分という弓を自分自身で引きしぼろうとするのです。どの方向に向けて矢を放とうとするのか。例えば、自分が他者に干渉をされて育ったら、それが正しいかどうかではなく、あえてそうではない方向へ向けて、矢を放とうとするかもしれませんし、これくらい飛んで当たり前とか、これくらいは飛んでほしいと望むかもしれません。
「私たちは強欲の奴隷になりさがって、他人を自分の持ち物のように動かしたいという願望に駆り立てられることを拒否しなければなりません。私たちは与える技術を自分の中で奨励し、それを発達させ、その犠牲で、それに反する行動が跡形もなく洗い流されるところまで行かなければなりません。」
これは親だけでなく。学校の教師に対しても言えることだと、バッチは述べています。そして子どもの側から言うと、親の使命は神聖なものであっても、子どもの発達を制限したり、子どもが進もうとする道~魂の命じる~生活や仕事を邪魔する存在ではないこと、義務として押し付けるような存在ではない、ということをしっかりと意識する必要があるというのです。ほとんどあらゆる家庭で、完全に誤った動機と、親子関係の間違った認識から、両親と子どもたちは自分で自分の牢獄をつくっています。
これは本当に恐ろしいことです。自分の考えだと思っていたら親の考えだったり、自分の感情だと思っていたら、実は親の感情だった、なんてことは、よくあることです。私は誰の人生を生きているのでしょうか、という問いにぶつかって、はじめて自分を閉じこめていたのは自分だったということに気づく人も少なくありません。
下の図は、彼の人生をバイオグラフィーワークの七年周期の考え方に沿って描いたものです。19世紀の終わり、産業革命発祥の地であったバーミンガム近郊、鋳物工場を営むウェールズ人の家庭の長男として誕生したバッチは、自然を愛し、感受性の強い子どもで、幼いころから、癒し手になりたいという願望があったようです。医療者への道は、魂の命令として彼の心をとらえ続けていました。けれど、実際はどうだったでしょうか。この時代、おそらく、家業を継ぐことは当然の成り行きだったかもしれません。16歳で学校を卒業したのち、しばらく親の工場で働いています。大学へ行く資金を出して欲しいと父親に言えなかった、という記述が残されています。それから4年後、やっとバッチは父親に医者になりたい夢を伝えます。そしてめでたく医療の道へ進みますが、彼がまっすぐに自分の夢に進むことができなかったことだけは確かなようです。けれど工場労働者とともに過ごした期間は、のちにバッチが医師になった際、彼らの経済的、身体的不安、自然と切り離されることによる苦しみなど、他者理解につながる意味深い経験となったのは言うまでもありません。人生の経験に、無駄というものは何もないということなのかもしれませんね。