セントーリー(ベニバナセンブリ)
親切で物静かで優しく、他の人に対して過度に気を遣います。そして、無理な努力を自分に強います。他の人に尽くす気持ちが強すぎて、人を助けるというよりは、人の下僕になってしまう時があります。人の良い性格なので、必要以上に人の手助けをしたいと願い、そうすることで、自分自身の人生における使命を無視する傾向があります。(トエルブヒーラーとその他のレメディより)
セントーリーの近縁種、ハナハマセンブリを近くの公園で見つけて以来、ずっとセントーリーのレメディが気になっています。それはセントーリーが、私にとって、とても重要なレメディだからです。
バッチフラワーを学び始めた頃、いくつかのレメディの指標が、私の胸に突き刺さりました。セントーリーはその一つです。指標(上記の赤文字)を読んで、あ、このレメディって、私の性格の構成要素だと思いました。当時、私は他者に対して自分を譲る傾向が強かったのです。つまり我儘ではありませんでした(過去形です)。もちろんすべての人に対してではありません。そしてバッチフラワーに出会う以前、50代になるまでのことです。
セントーリーの指標にある、「優しさ」、「献身的」、「思いやり」などは、特に女性にとって「ウリ」、美徳とされています。それが自然にできたら、そんないいことはありません。評価も受けるでしょうし、それは自分の価値そのもの。私でなくても、優しい人ね、とか、よく気がつくね、なんて言われている人は、自分のそういうところは、悪いとは思っていないし、手放せないし、もしそういう自分に時々苦しくなることがあっても、よもや取り組むべき課題だとはとらえにくいでしょう。
では、それがなぜ悪いの?
バッチ博士が、「ドアマット」と称したセントーリーは、私欲のない、親切な人ですが、バランスを崩すと、他人の言いなりになって簡単に利用されてしまいます。不思議ですが、こういう人の周辺には、何気に搾取するのが得意な人が寄ってきて、いつの間にかペアを組まされたりもします。
人から何かを頼まれた時、本当は自分も急ぎの用を抱えていて余裕がない、にもかかわらず、セントーリータイプはこう考えます。「あ、困ったな、でも、ちょっと無理したらできるだろうし、断るなんてできないよ~相手に悪いし、嫌な思いをさせるのは好きじゃない。今夜は眠れないかもしれないけど、あれこれ言ってる間にやっちゃった方が早いし...」で、「私できます、喜んで」、となります。実際は、頼んだ人より、忙しかったり、ヘトヘトだったりしているのに、役立つ私をやめることが出来ない。わざわざ自分を主張して「空気」や「関係」をぶち壊すことに耐えられない。その自我の弱さはどこから来るのでしょう。
もちろん、人生には、自分がどんなに余裕がなくても、絶対、人を助けなくてはならない時はあります。でもそんなことって、そう度々起こることではありません。でもセントーリータイプの人にとっては日常茶飯事。周囲との調和って、そんなに大事なことなんですよね。
自分のニーズを大事にして、必要な時には適切に「ノー」が言える、というのが、セントーリーのプラスの指標ですが、我が身を振り返ると、そもそもセントーリー状態になっているとき、自分のニーズそのものが分かっていないんじゃないか、と思います。
親から受け継いだ価値観、過去からの習慣、思考パターン、思い癖などなど、長い間、自己決定を他者にゆだねる癖がついていると、いつしか自分のニーズは、他者のニーズにすり替わっていきます。自分がいい人でいることと、相手にとって都合がいい人とが、まるで同義語になっていくのでしょう。周囲に柔らかく心を開きつつ、自分のニーズをしっかり主張できる強さは共存できないのでしょうか。
40代後半から50代にかけて、私の人生は、これでもかというほど私を追い込みました。もがきながら、泥沼から顔を出して息をついたとき、私はバッチフラワーに出会いました。私がバッチフラワーの使い手になるのは、決まっていたかのようでした。一つ一つ時間をかけ、レメディを鏡にして自分を映しながら、否定的にもならず、私は練習を積みました。どれほど多くの優しい手に支えられていたことか。
私は50代になって、やっと自分の人生を生きている気がしました。いつの間にか、こんな人だったの?といわれるほど、はっきりものをいう人間になりました。でも、ふと気が付くと、セントーリーの渦の中にはまり込んでいます。きっともともと、人が幸福で笑顔になるのが好きなのでしょう。(自分で言うのもなんですが)セントーリーは優しくて強いのです!
前回、取り上げたウォルナットは、ちょっと意識的に選ぶレメディだとしたら、私にとってのセントーリーはもっと無意識、もっと無自覚に、必要とされるレメディです。ちょっとバランスを崩すと現れる...これが魂の癖~タイプレメディということなのかもしれませんね。
すべてが調和とバランス、全体はつながっています。自分がいいと思っていることが、別の視点から見ると、他者の成長の邪魔をしていたり、自分自身を裏切っている、なんてことが分かってくると、否応なく、自然にパラダイムシフトが起こります。 バッチフラワーの使い手になるということは、いつしかパースペクティブに物事をとらえられるようになっていくことなのでしょう。
上の画像:セントーリーの花の付き方、茎の分枝する様子がよくわかります。
下の画像:近くの公園で見つけた近縁種のハナハマセンブリ。