世界中が緊張に包まれているけれど、この瞬間にも、生まれてくる命がある。
歴史を振り返れば、戦時中にも同じことが言えたのだろう。
なぜ人は、選んだかのようにその時代に、生まれてくるのかしら。
詩人茨木のり子さんは二十歳に敗戦を迎えた。
「わたしがいちばんきれいだったとき」という詩は
もし彼女が中学生で敗戦を迎えていたら、生まれなかったはず。
そう思うと、人が生きる目的と時代は、
否応なく結びついていると思わざるを得ない。
同様に70歳の私が、COVID-19によって経験している「今」と
こどもたち、そして進学や就職で、新しい世界に出て行く若者たちが
経験している「今」は、おそらくちがう。
私のあしたは、若者と比べるまでもなく、短い。
食料も、マスクの数もトイレットペーパーだって一人分。
第一、あまり心配もしていない。外出自粛も苦ではない。
けれど、もし、私に育ち盛りの子どもがいたら、
どんなに不安なことだろう。
身の安全もさることながら、教育、経済、この先いったいどうなっていくのだろうと。
人と人が分断され、
世界中の人々が「境域に立つ」経験をしている。
いまだ、その全容は見えてこないけれど、
この危機の背後に何が待っているのか。
それはいつになったら現われてくるのか。
新しい意識、価値観、生き方...
それをちゃんとキャッチできるだろうか。
そのためには、十分に目覚めて、準備をしなくてはならない。
私に何ができるだろう。
わからない。
けれど、きっと、
こうして考えることが大切なのだと思う。
刻々と季節が移っていく。
オークの雌花が美しい。秋には実を結ぶ。