もう10数年前のこと。既に廃刊になってしまったけれど、毎月発行のアントロ関係の情報誌の巻頭頁に、小文を書いていた時期があった。連載の最終回、私はこんなことを書いた。
空が明るい。夕映えの時間が少しずつ長くなっている。ほんの数週間前は、日が落ちるとあっという間に夜になったものだが、いつしか光は春を孕み、冬枯れた木立さえも、今では燃え立つ炎のようだ。空も大地も樹木も目覚め、鳥たちが旅立つ日も近い。胸躍る春の幕がもうすぐ開く。
年の初め、日頃離れて暮らす家族が帰ってきた。無人だった子どもたちの部屋にあかりが灯り、大人になった彼らの足音が家中に響き渡る。昔のように笑い声が充満して、若い息吹に心は浮き立つけれど、気楽な独り暮しから、母親に戻るのは年々億劫になってきた。潮が引くように彼らが去ると、華やぎは薄れ、静けさは重く澱んでいくが、それも悪くない。波のように来ては去る。人の往来、季節のめぐり。その繰り返しをずっと同じ場所から見ていたい。新しい春もまた、私はここでずっと見ていよう。
同じ場所で、動くものをずっと見ていると、自分が動いていては見えなかったものが見えてくる。当時、私は50代後半、自分のことを「港」のように感じていた。けれど70代になった今、あの頃に立っていた場所からは見えなかったものが見える地点にやってきた。「年齢」という新たな「霊的な器官」は、60代半ばくらいから急にはっきり自覚できるようになった。
2年前の初夏、バイオグラフィーワークでは、「21の鏡(Vチャート)」とよんでいる、ミラーリングの自分のチャートを、なんとなく、ぼんやり眺めていた。すると不意に人生の転換点が、15歳、27歳、48歳と、美しく真横に並んでいるさまが浮かび上がってきて、そして何よりもその延長線が、まぎれもなく「今」を指していることに私は慄いた。
それまでの私の転換点は、自分から、というより外からやってきた。否応なくやってくる様々なことを、案外素直に「はい」と受け取ってきたように思う。そのおかげでいろんな経験をさせてもらったし、きっと能力も開発されたに違いない。で、これからもそれでいいのだろうか、と思った。いやいや、そろそろ自分から転換点を生み出そうよ、私。そう思って決めたのが、一生に一度くらい自分が住みたいところに住んでみようということだった。思えば生まれてこの方、純粋に自分だけの意志で、ここに住みたいと思って住処を決めたことはなかった。
物理的年齢から言えば、便利のいいところに住み替えるというのが当たり前かもしれない。それに対して思いっきり反対路線だ。さて、これが今後の私の人生にどんな影響を及ぼすのだろう。なんせ温暖な伊勢で生まれ育った私は、暑さも寒さもほどほどがベース。標高の高い山の暮らしを始めるには、最も厳しい季節ではないだろうか。あまりの寒さにシッポを巻いて逃げ帰るかもしれないけれど、この冬が乗り越えられたら、もう恐いものなし! 試すだけの価値はある。「港」から出ていく古びた小舟、40年近く住んだ愛しい我が家、家族の歴史、思い出がいっぱい詰まった、この場所を離れてでも。
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