八ヶ岳南麓に住み始めてほぼ2か月が経ちました。といっても毎月、愛知へ戻っているので、3分の2がこっち、というところでしょうか。ウィンタースポーツが特に好きでも得意でもない私が、わざわざ厳しい冬を選んで山暮らしを始めたのは、単なる成り行きですが、意味づけするとしたら、冬を越せたら、あとは怖いものなしということで、楽観的な資質を大いに使って飛び込んだ初めての冬です。 標高1250Mの高原の冬は、寒さが厳しいのは当然ながら、晴天率が高く、空気が澄んで気温が低い。雪は決して多くないけれど、降るとそのあとほぼ凍るので、階段に積もった雪はすぐさま除けておかないと危険です。ある朝、あんまり寒いのでひょいと温度計を見ると、氷点下7度を指していたときには、さすがにのけぞりました。室内なのに!です。バスルームのドアが凍って開かないばかりか、シャワーの水栓具が凍って動かないとか、水滴が氷の柱になっていたり、しばらく留守をして戻ってくると、花瓶が割れている!ん?よく見れば、花瓶の中の水が、花瓶の形に凍っている。割れたのは水が凍って膨張したためだったのです。バナナが完熟していると思いきや、皮をむいてみると熟したのではなく、あまりの低温で皮が黒くなっていただけだったり、オリーブオイルが凍って半固体になってしまったり、これまで経験したことのない次元の違う寒さに、少々へこたれる日もありますが、そこは持ち前の呑気さで、面白がることにしています。 「今週のクロイツ」にも書いているように、寒い日にはストーブのスイッチを入れる前に、まず自家発電を目指して身体を動かすとか、日が落ちると、辺りはもう真っ暗だし、起きていると寒いので早く眠るとか、実際、薪割りだの枝集めや松ぼっくり拾いだの、身体を動かさずには生活ができないことも多く、疲れ果てて眠くなってしまうので、ある意味、以前よりずっと健康的なのが、山の暮らしです。 散歩コースは、林を抜け池の縁を歩き小高い丘に上ります。東には八ヶ岳…といっても南麓なので、編笠山(2524m)の丸く雪を被ったてっぺんが見えるだけですが、西には南アルプスが開けて、朝から大音量で交響曲が鳴り響いているかのような風景が広がっています。雪の尾根が光り輝く鋸岳や甲斐駒が恐ろしいほどくっきりと迫って見える日もあれば、雲に隠れて全く姿を現さない日もありますが、どんな風景もご褒美のようなもの。まさに冬ならではです。 うれしいことの一つに、周辺にはヤドリギが多く、白樺や桜、ズミの木に、大小さまざまなヤドリギを見ることができます。私が育った伊勢では、ヤドリギをつけた木の下を通って学校へ通った記憶があるので、ヤドリギを見るとなんだかとても懐かしい気持ちになるのです。自然界が冬眠するこの時期に花を咲かせ実をつけるヤドリギは、冬だからこそ遠くからでもよく目立ちます。アントロポゾフィー医学ではヤドリギ療法として、がん治療に用いられることはよく知られていますが、冬、神秘の植物ヤドリギを間近に見ることのできる幸運に胸が躍ります。 2月も終わりに近づくと、気温は低くても日に日に明るくなり日差しも強くなります。ほんの少し前までは、秋に降り積もったラーチの葉をめくっても霜柱しか見えなかったのに、今ではそこここに緑の褥が広がる予兆が潜んでいます。暮らすには少々厳しい高原の冬ですが、冬から春へ、そして夏、秋、また巡ってくる冬を、私は何回、楽しませてもらえるでしょうか。